安西東千仏洞と敦煌莫高窟訪問記 2000.12. 清原倫子

東千仏洞

別名・接引寺。鎖陽城の東南安西より約90キロ西北の砂漠の古代河跡の両岸にある。

昔から鎖陽城の東南の深い谷の中に、ラクダを放牧する人々だけが知る隠れた石窟群
があ
るという言い伝えがあつたが、水が無いことと・あまり辺境であるため・
その存在は長い
間確認されることがなかった。

1982年敦煌芸術の研究者が安西県橋子村のこの伝説を確かめる為、大掛かりな探検隊
を組織してこの石窟を発見し、
現存する洞窟は23窟で、そのうち壁画・塑像が保存さ
れているものは・西夏時代
5窟・元時代1窟、清時代3窟の9窟で、現在見学が許可され
ているのは第
2573窟のみ。壁画総面積486u、彩塑56身。

壁画内容は、浄土、涅槃、薬師、文殊普賢・水月観音、密教曼陀羅・など大半が西夏時

代のものが主流となっている。

(西夏、中国オルドス地方・現在の甘粛省にチベッ/系のタングート族が立てた国・1038

1227。チンギス.ハンに滅ぼされた。西夏文字は約400年に渡って使用され・日本の西田

竜雄によって解読されている。)

20001127

福岡発1540分発青島経由西安行き中国西北航空にて一路西安へ

青島で一旦離機、入国手続き後、1940分・西安到着  西安泊

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西安の陳西省博物館

(11・万年前の旧石器原始杜会一近代1…年の阿片戦争迄の遺跡を展示)

秦兵馬俑博物館

(秦の始皇帝が即位してから亡くなるまで=BC221~BC210=の間に作られたと考えられている。

現在。3つのへ俑坑が発見されており・第1俑坑だけでも・17,140u・約6000体の俑馬が発見

されている。構造は11の通路に仕切られている。通路と通路の間に丸太を差し渡し、その上に

ムシロをしき、ムシロの上は約57mの土で覆われてしいた。秦末期にその一部が項羽によっ

て焼き払われたといわれ・現在その焼け跡も残っている。)を見学後、空路、西安から蘭州経由

敦煌へ。所要時間は約3時間半

一一1

1940分、敦煙空港着

敦煌空港より約100q離れた安西へ。信号も灯火もない真っ暗な直線遺路。満天の星空

のみ。21時より安西人民政府招待所にて政府主催の歓迎会。ところが停電の為、ロウ

ソクでの晩餐会となる。

食事

野菜を中心とした料理30皿位。メインは羊肉。野生の兎、お粥、蒸パン(みたいなもの)、スズメ

鯛みたいな川魚の唐揚げ・生ニンニク、豚の角煮風、ニラのおひたしなど。全般に辛いが、味は

おいしい。現地の方々は48度のコウリャン酒を生のままで飲む。52度という乾杯用のお酒で何

度も乾杯するのでごまかすのに一苦労。

食後・同所のVIPルームに案内していただいたのだが、停電のためシャワーも使えず、お湯も出

ず、電気もなくてロウソクの灯をたよりに就寝。気温は多分、零度以下。

1129

目の出は遅く840分頃。8時頃はまだまだ薄暗く、人々も町もまだ眠っているようである。

招待所の迎賓館で朝食。パン、蒸しパン、お粥、豆腐を発酵させたものに辛い味噌をまぶしたもの

等など。この地方独特のものか。とうがらしの佃煮など辛いものが多い。

朝食後、安西博物館へ。同博物館の象牙仏像を見せていただく。


隋〜唐時
代のものとされる。いとも簡単にしかもハダカで外に持って来られ、写真も自由、手に

とって0Kという大らかさにかえって戸惑う。日本ではこういうことが出来るだろうか。

9時、安西出発。ジープ4台で約90キロ離れた東千仏洞へ。


安西人民政府は、歴史的価値も美術的価値も莫高窟や楡林窟に劣らない東千仏洞を世間

に広め、観光的価値を高めて収入に繋げたいということか。

模写絵の色合わせと写真撮影が今回の目的で、敦煌研究院美術研究所の画家の高山さんと王峰さん、安西博物館から4名運転手2名、料理人1名、我々3(カメラマン秋本英雄さん、美術講師の高杉志緒さん、私)の計12名の編成。辺境の村落ではラクダ、羊、ロバの放牧。木立は全て枯れ木の様相で川や湖は凍結。そこを過ぎると、飽きるほどの砂漢が続く。前方に屡気楼を見る。(初めて)

道らしい遺はなく、雨期(6月頃・年間降雨量は約50ミリ)には川となる箇所の川底を走

るが、砂塑がものすごく、腸がひっくりかえるような凹凸で車の天井で何度も頭を打つ。

ジープも何度も立ち往生して、そのたびに全員で引いたり押したり掘ったりして進む。

昼過ぎ、ようやく東千仏洞こ到着。



岩と砂と岩山のみ。自然の要塞。
居住用の洞窟に管
1名常駐。(電気も電話も水道もなし。トイレも)石炭スト.ブと白湯で暖まる。

昼食が出来るまでの間、早速、第7窟の調査と撮影開始。

7

地上より約20mほど上がった岩場の洞窟で、現存する壁画・塑像は第2窟に次いで程度

が良好とされている。洞窟全体に壁画が描かれ、朱・群青・緑の色彩がかなり鮮明に残っ

ている。残念ながら入り口の天井は脱落を防ぐためセメントで補修されていた。

正面と両脇に塑像。(正面1、両脇それぞれ2)

昼食は野菜中心の家庭料理を洞窟内のカマドで調理

いわゆる『流し』は無いので、水は使えない。50mほど離れた場所に井戸があるが、

水量が少ないので飲み水として利用することが最優先となる。

生野菜は食べない。キュウリやセロリなども加熟。洞窟内のストーブで大きなヤカンにお

湯を沸かして白湯を飲む。水の中に砂が混じっているので、砂が紙コップの底に沈むのを

待って飲む。塩分やや強。昼食後、第2窟撮影

2

東千仏洞の。窟のうち、規模、憾など最も良好・人民政府側もこの2窟を目玉とした

いらしく、この窟の撮影に関しては細かい指示が入る。

特に裏側の涅槃仏は保存状態も良好であるが、残念なことに釈迦の両目の部分が、人為的

に削られている。先の文革の際の被害であるという。それにしても・よくもこんなところ

まで、と驚くより感心してしまう。

入り口には、大谷探検隊吉川小一郎が記した、

『明治四十四年九月二十七日

大日本京都吉川小一郎』の文字が残されている。

大谷探検隊について

浄土真宗本願寺派第22世門主、大谷光瑞(1876~1948)が組織した探検隊

明冶35年から大正3(1902~1914)にかけて三次にわたり・中央アジアの探検.調査

を行い、インド、中央アジア、チベットの貴重な遺物や敦煌写経を初めとする古文書

を収集した。

19時頃終了

洞窟内で夕食。ロウソクの明かりをたよりにストーブを囲んで車座で。


写真の左から画家の王峰さん、安西博物館副館長の李宏偉さん、私・清原倫子、高杉志緒さん

とうがん、キュウリ、マッシュルーム、ニンジン、チンゲンサイ、白菜・ハム・
etc

おみやげの日本の焼酎は軽いと評判

目の前でラーメンを手打ちして茄でる。ラーメンというより『きしめん』といったとこ

ろか。このきしめんの中に、残ったおかずを手当たり次第に入れてかき混ぜて食べる・

食の無駄を無くす生活の知恵。

最後に蕎麦湯ならぬ、麺湯をいただく。そのままなのでおいしいとは思わないが、現地

の方々は何杯もお代わりしていた。

食事のあとは、それぞれの笑い話の披露、日本のジャンケンに似たゲームで盛り上がる。

ウエフアース風お菓子、中国風焼き菓子、ひまわりの種

トイレは無いので、各自適当に。降るような星空の下、慣れると爽庚

洞窟には簡単な毛布はあるが、人民政府は我々3人のために安西より寝具を運んできてく

れており、恐縮しながらも甘えさせていただくことにする。洗面も歯磨きも出来ないので、

そのまま就寝。外界の温度と洞窟内の温度差が大きすぎて体調を崩す。

1130

830分起床。日の出は遅く、まだ薄暗い。

紙コップ1杯の水で洗面、歯磨き。

朝食はおかゆ、小麦のパン、とうがらしの佃煮、昨夜の残り物。

朝食後、第5窟へ

5

正面の立像が脱落しており、状態は良くない。

2,5,7窟とも天井の壁画は比較的良好。昼食は手打ち麺

昼食後、機材などの後片付けをして安西への帰路へ。管理人のおじさんは少し淋しそう・

砂漢の道なき道を再び走る。辱気楼をまた。羊・ラクダの群れ

途中、私たちのために鎖陽城跡

唐の時代、西北の中心都市のシンボルであったという城も現在は城壁の一部が残るのみ

総面積は274,896u、人口は40万人を数えたという。現在は観光客向けの粗末な建物が1

棟あるが、冬期なので閉鎖されており、閑散としている。名物の紅柳が枯れたまま生い茂

り、砂塵にまみれていた。国境に位置するこの城壁を玄装三蔵も越えたという。

タ方、安西に戻り、書類関係を整えて、18時すぎ敦煌の市内へ。

ホテルに入ってタ食まで休憩。やっとシャワー。全身砂だらけ

タ食は市内のレストランで。羊料理がメイン。

日本語も英語も通じない。トイレに行くだけで何人もの従業員がついてくるのは、監視

されていたのだろうか。

敦煌の市内は思っていたより、大きくて賑やかであり、市場や露店も充実。

自家製の干し果実を道端で売っている人が多い。焼き芋、トウマメ、ひまわりの種、

リンゴ、ザクロ、ミカン、バナナなど、その他生活用品、道路で健康測定屋が多くあり、

目に就いたのは『足のマッサージ』処が多い。1時間で日本円にして800円位だとか。

(10000円・726円・現地のサラリーマンの初任給が300円程度・日本円にして4,200円位)

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9時、敦煌莫高窟へ。途中、道路を挟んだ左右の砂地の大平野には、石の墓標や盛り土があ

ちこちに見られる。一般民間人の墓だという。

敦煌研究院に通じる敦煌石窟陳列センター見学後、莫高窟へ。河は繍吉。冬期ということで

観光客は少なく、食堂や土産物屋も殆どが閉店。

莫高窟

長さ約1,600m,主に隋、唐時代の塑像、壁画群。総数は492窟。

その内、一般に公開されているのは1O窟程。死者の慰霊と供養のために絵師や造仏師を

雇って洞窟内に壁画を施し、塑像を安置したもので・権力や富を示すものとして豪華で

精巧なものが多い。洞窟内の撮影は禁止。

莫高窟のシンポルとされている、通称北大仏・第96窟の弥勒菩薩像は高さ35.5mで・

則天武后の時代に創作されたものと伝えられている。

19078年頃にかけて、イギリスの探検家スタインや、フランスの探検家ペリオなど

によって世界に紹介されたが、この時、彼らは多くの文物や壁画・塑像を持ち帰り・

現在に至るまでその返却はされていない。

殆どの洞窟で人為的に脱落した壁画や持ち去られた仏像の跡がある。

日本の大谷探検隊もこの洞窟を訪れている(洞窟の壁に大谷探検隊の隊員であった・浄土

宗本願寺派の僧侶、橘瑞超の名前が刻まれている)が、剥奪はなかったらしく、現地の人々

は彼らに対しては好意的であるような感じであった。

現在は14,000人までの見学が許可されているが、2001年からは2,000人までとなる。

見学者の呼吸による炭酸ガスが壁画や塑像の色に作用して変色が著しいため。

食事

羊のシヤブシヤブ

羊の肉、胃袋、血、をメインに日本のシャブシャブと同じ。ごまダレでいただく。

野菜は白菜、チンゲンサイ、春菊、冬瓜、ヒラタケ、昆布など

ほかにどじょうのぶつ切り、ジャガイモの澱粉をキシメン風にのしたもの、

薬味として、豆腐の発酵したもの、ニンニク'の甘酢漬け、青とうがらしの佃煮、

落花生、セロリの漬物など。

ビールは冬期、置いていない店もあるが、日本人観光客のために置くようになった

という。34%位で発泡酒とあり、シャンパンみたい。『緑色食品』の表示は無農薬という意味。

鮫子

水鮫子.キュウリ、ピーマン、白菜、ニラ、しいたけ・などを中心としたもの

1皿に約60ケで一人分。値段は大体、25(日本円で30円〜70円位)

串なべ・ピーナッツ油のタレで食べる

数種のトウガラシ、ナツメ、はっかく、しょうがなどを煮込んだ薬膳のダシで・串に

さした具を煮込んだもの。具は何でもOK

羊の血、うずらの卵、豆腐、サツマイモージャガイモ・レンコン・キクラゲ・湯葉・

マッシュルーム、タケノコ、春菊、昆布、チンゲンサイ、がんもどき、ハム

イカ、ミル貝(乾燥したものを水で戻したもの)等など・・・・・以上


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